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「島の記憶」引き継ぐ孫世代 豊かな生活一変、激戦地に―硫黄島元住民「3世の会」 - 時事通信ニュース

2020年08月15日13時36分

太平洋戦争末期、激戦の舞台となった硫黄島=1945年2月撮影(米国立公文書館提供)

太平洋戦争末期、激戦の舞台となった硫黄島=1945年2月撮影(米国立公文書館提供)

  • 米軍が国旗を掲げた摺鉢山から見た硫黄島=2013年3月、東京都小笠原村
  • 勉強会を行う「硫黄島3世の会」のメンバーら。右から2人目は会長の西村怜馬さん=2019年11月、東京都港区

 東京の南約1250キロの洋上に浮かぶ硫黄島(東京都小笠原村)。太平洋戦争末期の激戦地として知られるが、かつてはさまざまな農産物や海産物に恵まれた豊かな島だった。島民は戦況の悪化に伴い強制的に島を追われ、帰還がかなわないまま戦後75年を迎えた。元島民らの孫世代が「3世の会」を結成、失われつつある島の歴史や文化など「島の記憶」を引き継ぐ活動を始めている。

〔写真特集〕硫黄島の戦い

 硫黄島は1891年に日本領となり、北硫黄島を含め計約1200人が生活していた。マリアナ諸島が米軍に占領され、硫黄島での戦闘が不可避の状況になり、島民は1944年7月に一部の軍属を除いて本土へ強制疎開させられた。島はその後、激しい戦いの舞台となった。
 戦後、米国から返還されたが、「定住は困難」として帰還は認められていない。現在は島全体が自衛隊の管轄下にあり、一般人の立ち入りは制限されている。
 元島民らがまとめた資料によると、硫黄島はサトウキビの栽培や硫黄の採掘を主産業としていた。マンゴーやパイナップルなどが実り、海ではタイやマグロが捕れる豊かな環境だった。
 「硫黄島3世の会」会長の西村怜馬さん(38)の祖母(故人)は21歳まで島に居住。島の生活を「食べ物に困ったことはなかった」と話していた。墓参のため祖母に付き添って訪れた島内では、パパイアやバナナが自生していた。
 「(当時は高値で取引された)アホウドリを捕まえて羽毛布団にしていた」と話す元島民もいる。立派なユニホームを着た野球チームの写真も残っていた。
 一方、硫黄島の戦いは凄惨(せいさん)を極め、その様子は映画や書籍で繰り返し描かれた。西村さんは「硫黄島は『戦争の島』『水もない地獄のようなところ』というイメージになってしまった。島にかつてあった生活や歴史を誰かが受け継がないと途絶えてしまう」と語る。
 同会は2018年に結成。これまで、元島民らの集会で墓参時の写真を展示するなどした。今後は当時を知る人の聞き取り調査も行う予定で、将来的には島の歴史や文化を発信する役割を担うつもりだ。

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August 15, 2020 at 11:36AM
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